Bは渇望した/マンションの鍵貸します

青年は足早に廊下に出てチョコレートの銀紙を外して齧った。
廊下での飲食は決して褒められる行為ではないがそうでもしないとやってられない気分だった。そして自分がここまで苛立てるとは思わなかった。
あの灰衣の医者には元々不信感が無いと言ったら嘘になるが、彼があそこまで不誠実とは。

「嫌だねぇ…」

バリバリと噛み砕いて糖分を摂取する。この粘つくような甘みは中毒性を感じざるを得ない。
時計を見てまだ少し自由な時間がある事を確認する。たまには仕事をサボってやろうかという考えが一瞬浮かぶが、それはすぐに無くなった。
今、少なくともあの医者は己の妹の命を握っている。下手な行動は極力避けるべきだ。
そうしていると突然自分から少し距離を置いた心なしか空間が揺れた。

「アーチャー?」
「マスター、何かお困りの様子と見受けられましたが如何されましたか」

そこに現れたのは青年と契約している弓兵の一人、アーチャーだった。
真名を那須与一、源平合戦においての功績で名を知られる武将だ。女性ともとれるような顔立ちの彼は穏やかな表情をしている。

「妹殿についての事、でございましょうか」
「正解。単刀直入に聞くけどあいつが持たされていた銅カードについてどう思った?」

この組織の戦闘員も兼ねてる青年の妹は、現在進行形でベッドの上で意識を取り戻さない。
彼女は戦闘後、山道で倒れているのが確認され急いで青年が救助に向かった。その際彼女の隣に血の付いた銅カードが落ちていたのでそれも回収したのだが、今は医者が研究すると言って持って行ってしまった。
アーチャーはこの救助作業の際にスキルを使って彼女を捜索したため、件の銅カードをその目で見ているはずだ。

「普通、黒カードよりは純度が高い銅カードを使って使った奴が意識を失う事はまず無いはずなんだ。あいつは夢幻召喚(インストール)を嫌っていてそもそも不慣れだったとはいえな」
「ふぅん…」

マスターの質問を受けてアーチャーは俯き考える。そして感じた事を正直に口に出した。

「私はあのカードにどこか異質なものを覚えましたね」
「異質?どういう意味?」
「何と申し上げたらよいか…人に化けた狸のような、決して拭いきれぬ違和感を纏っておりました」

反英霊。アーチャーの言葉を聞いてその単語が浮かんだ。
暗く血に濡れた手段で人類の歴史に名を刻んだ英霊。そのような英霊は決して少なくない。中にはマスターに背くような者もいるかもしれない。
そこまで考えた時、腕時計のアラームが鳴った。どうやらもう時間らしい。ネクタイを締めると銀紙を丸めて、ゴミ箱に入れる。

「今日は誰が随伴いたしましょうか」
「君でいい」
「御意」

アーチャーは実体化を解き、弓を引く女性が描かれた輝くカードへとその身を変える。
銀色のカードが青年の手元へクルクルと周りながら一直線に向かう。それを受け止めて仕舞うと暗い廊下の先に向けて歩き始めた。






特殊状況下事件捜査課伏神支部。
警視庁の隣に建っている少し小さめの目立たないビルに偽装させた施設を本拠地とする国家組織だ。見かけこそ普通であるが、内部は魔術により拡張が行われており巨大な空間が維持させれている。
幾つもの監視装置、声紋・瞳孔識別に加えて魔術回路のパターン認識を抜けた先にある巨大な扉を二人の刑事が通る。
行き交う捜査員や職員達を横目にエレベーターに乗り込む。指定は五階。
その階の中央に位置する会議室に入る。円卓状の机に一人のメガネをかけた男が腰掛けていた。

「よく来てくれた。では早速だが今回の捜査の詳細について説明させてもらう」

机に置かれていた水晶玉に手をかざすとプロジェクタースクリーンに画像が映し出された。
そこにあるのは巨大な団地のマンションだ。一つのフロアには十五部屋あり、それが十三階まである上に駐車場もかなり広い。近年、工業による発達と同時に増えた伏神市民の住居として住処を果たしているのだろう。

「だが、先月からこのマンションに入った修理業者や宅配業者が行方不明になる事件が多発している。現場に証拠と思わしき物は発見されず、我々はこれを魔術絡みの事件と断定し、君たちに秘密裏に調査を要請する」

魔術絡みの行方不明事件。つまるところ、大規模な儀式の生贄として捧げられている可能性が高い。特状課もこれ以上の被害を見逃すわけにはいかなかった。

「はい。特状課の一員として全力を尽くします」
「フッ…この俺を動かすのは正義を貫く熱い心…。旧いやり方にしがみつく魔術師など二丁の銃の前には余りに無力…ッ!!」

クルリと一回転して演技がかった仕草で応えるクリス。同僚と上司から諦め混じりの呆れた視線を向けられている事に余韻に浸っている彼が気づく日はまだ来ない。



「それでなんだが」
「はい」
「何故俺達はこの部屋に一緒にいるんだ?」
「それは…プロレタリアートだからです。多分」
「いや言い訳が下手すぎる」

二人が住むには十分なスペースの部屋、しかし家具などはほとんど置かれていない殺風景な部屋でクリスはカレーを食べながら疑問を投げかけた。
向かい合った先に座っているレトヴィザンは事務作業のために動かす手を止めることなく答える。

「勿論捜査のためです。突然住民でも無い人間が頻繁にマンションに出入りしているを見られて犯人に警戒されては困りますから」
「だが、わざわざ住む必要は無いだろ?管理人でも常時こんな広いマンションに住んでる人間を全て把握してるとは考えにくい」
「非常事態に備えるためでもあります。相手は魔術師ですから万が一の時にはすぐに駆けつけなければなりませんよ。…というかここに来る前に僕説明しませんでしたっけ」
「フッ…過去にこだわるのはあまりカッコよくないぞ」

家具が極端に少ないのは短期での解決を目標としているからだろう。
クリスは外の空気を吸うと言い残してベランダに出る。そして涼風に当たりながら街を見下ろし、グラスについだ酒を飲んだ。

(フッ…この箱庭を拠点とした人攫いの悪党か。酒の密造ならまだ可愛げがあるんだがな…)
「アーチャー。起きてたのか」
(久しぶりに面白そうな案件だからな…。それにしてもマスターも同僚の女と寝ることになるとはな…。…やはり俺と契約するぐらいだから隅には置けんな)

答えは数秒の間をおいて返ってきた。

「は?」

アーチャーは咄嗟に次に口から出ようした冗談を奥底に引っ込めた。サーヴァントは自らと契約しているマスターの感情の起伏を感じ取りやすい。
故に、疑問にも聞こえるマスターの返答には明らかに困惑より嫌悪の色が濃いことにも気づいた。少なくともマスターとの関係が悪くなることはアーチャーの予定には無い。
だからこそ彼は口を噤んだ。

(いや、何でもない。それよりマスターの持つ銃についてなんだが…中々カッコいいよな…)
「カッコいいだと?当然だ。フッ…このクリストファー・G・クライ…クリストファー・ガンマン・クライが持てば、どんなナマクラも一流にライトアップされる…!!」

アーチャーは話題が変わった事に内心安堵しながらも、マスターの女性に対する意識にどこか歪なものを覚えた。嫌悪でも唾棄でもない、拒絶という視点。
マスターも決して人生経験が浅い人間では無いだろう。
躊躇わず人に銃を撃てる男がどうしてこうなっているのか。

(………)

アーチャーはマスターの長々と続く自己紹介を半分聞き流しながらそんな考えにふけっていた。







翌日。
マンションの住民達の大半が各々の都合で出て行った昼下がり。二人の刑事は手分けして回りながら調査を行なっていた。
とにかく大きいマンションなので入り口も一つではない。そして付近に血管から飛び出た血液のみに反応する魔術を施された粉末を撒く。
すると薄っすらとだが空間に何本かの反応が浮かび出た。それは軽いケガで出た血に反応したであろう途切れてしまいそうな線がほとんどだったがーーー

『クリスさん。今西側の入り口にいるんですが』
「当たりを引いたか?」
『はい』

一本、赤よりは黒に近く線というにはあまりに太い縄のような線が浮かんでいた。一人や二人の少量の血ではここまでの線は作られないだろうし、二人もこの反応は初めて見た。

「それは…どこまで続いている?」
『ええと六階ですね』
「わかった。そこで集合しよう」

数分後、クリスとレトヴィザンは六階の608号室の扉の前に来ていた。線はそこで途切れている。

「この部屋の住民は今はいないみたいですね」

レトヴィザンはここに来る前、このマンションの管理人に捜査権限として部屋の住民の情報を受け取っていた。

(…この女が誘拐犯だと?フッ…何かの勘違いじゃないのか?)

アーチャーの言う通りその書類には至って平凡なふくよかな中年の女性が一人で住んでいるというデータが記されていた。顔写真からも特に誘拐犯と結びつく要素は見受けられない。

「とりあえず中に入りましょう。僕はマスターキーも貰ってきたので…」

彼女の言葉は聞き慣れた甲高い音で遮られた。音のした方に目を向けるとドアノブからは白い煙がもうもうと上がっていた。
そして、やってやったと言わんばかりのキメ顔のクリス。

「フッ…マスターキーなら俺は常備しているぞ」
「…これで万が一違ったらどうします?」
「逆にこんな扉の部屋に泥棒は寄り付かんだろう」

扉を倒した先の部屋は暗かった。いや、カーテンの隙間から漏れる光は確かに部屋を照らしているのだが、何故か暗いという印象を抱かせた。
調度品は清潔な白い物が多いように感じられたがそれが返って浮いている。何かを塗り潰すような白色。

「すっごいブルジョワ…」
(死体は見当たらないな。やはり勘違…待て、マスター)
「どうした?」

アーチャーの切迫した声が念話を通して頭の中に響く。クリスは思わず歩みを止める。

(直感なんだが…そこのタンスの裏を見てくれ)
「…わかった」

アーチャーの言う通りクリスは天井に届きそうなタンスを持ち上げて、横に移動させる。するとそこにはーーー

「この壁紙、おかしくありませんか?」
「フッ…やはりな」

明らかに後から貼り直された形跡のある壁紙があった。レトヴィザンとクリスは協力してビリビリと破っていく。そうして剥がしていくたびに徐々に死臭が強くなっていく。
三人の予想は確信に変わった。

「これは…」
(…っ!?)

ラップに巻かれた血塗れの体のパーツが部屋一面に転がっている。足や手もあれば頭もあった。壁についている血は幾重にも重なり脂が浮き出ている。そして溢れんばかりの死臭が鼻をさす。
壁の向こうに隠れた『洞窟』ともいうべき空間に異常と殺戮が内包されていた。
クリスとレトヴィザンは足を踏み入れる。しかし儀式の為の魔法陣は見当たらない。それを確認し、足で何かの臓物を潰す柔らかな音を耳にした次の瞬間ーーー

「あらぁ?今日はお客さんを呼んだつもりは無かったのに」

女性の声が後ろから聞こえた。二人はすぐに振り向き銃を向ける。破壊された玄関に太陽を背にしたこの部屋の住民が立っていた。逆光でその表情は伺えない。
彼女は銃を向けられても平然とこちらにゆっくりと歩いてくる。気圧されるように刑事たちは一歩後ろへと下がりかけるも、踏み止まる。

「フッ…あまり動かない方がいい。お前は何よりも動かぬ証拠で逮捕されるのだからな」
「それはどうかしらぁ?」

前動作なく眼前に投げられた買い物袋。それを蹴りで弾き飛ばし視界が開けると同時に『赤髪』の女が飛び込んできた。そしてクリスの首を掴んでナイフを突き立てようとするが、すんでの所でレトヴィザンのショルダータックルで横の部屋へと突き飛ばされる。

(この魔力…間違いない、カード使いだ…!)

マウントから解放されたクリスは立ち上がりアーチャーのカードを構えてすぐさま夢幻召喚しようとする。しかし背後からあてられた殺気に振り返ると、赤髪の子供が『三人』がかりで飛びかかってきた。

「何ッ!?」
「クリスさん!?」

腕を掴まれそのまま人外離れした握力で部屋の外まで投げ飛ばされる。
体勢を強引に立て直し廊下の壁を背にして、追撃しようと迫ってきた一人を蹴飛ばす。だが、直後にやってきた二人目と三人目を止めることはできず壁をぶち破り突き落とされる。
その先に、圧倒的な重力による急速落下がクリスを待ち受けていたーーー!

  • 最終更新:2019-12-16 01:04:03

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