赤ちゃん

「ただいま」
 竹丸が家の廊下を踏みしめた時、か細い悲鳴が聞こえた。喉を震わせ、喘ぐ様な声が。
 それがかぐやのものであると理解したと同時に竹丸は慌ただしく廊下を走り抜け、居間へと飛び込んでいた。
 室内を見回す。と、台所からかぐやの足が見えた。それが意味するところが少したりとも分からず、竹丸は背筋が凍り付く感覚に身震いする。
「かぐや……?」
 今朝、笑顔で自分を見送ってくれた少女の顔がよぎる。とても、こうなる様な兆候など見られなかった。肩を震わせながら、かぐやへと歩み寄る。
「あっ、ふっ、ぎぃっ、い……」
 床に倒れ伏し、体を丸めてかぐやは苦悶の声をあげていた。黒い髪でその表情は窺い知れないが、僅かに見える横顔は青白く玉の様な脂汗をかいていた。
「かぐやっ!」
 咄嗟にかぐやを抱き起こし、呼びかける。今にも息絶えてしまいそうなほどに弱々しい呼吸を繰り返しながら、かぐやは主たる少年へと微笑みかける。
「あ……竹丸、おかえり」
「おかえりじゃない、なんで、どうしたんだよこれ……!」
「う、ん? 大丈夫、ちょっとお腹、壊しただけ」
「お腹、壊したって……」
 かぐやはサーヴァントでありながら受肉している、特異な存在だ。だが通常の人間とは違う。腹を壊す事などありえないはずだ。
 腹にそっと触れる。何かが、腹の下でもぞもぞと動いていた。竹丸は随分昔に見た映画に出てきたエイリアンが人の腹から飛び出すシーンを思い出していた。悲鳴をあげる人間の腹を突き破り、不気味な怪物の頭が覗く……。
「かぐや、腹壊したって、何食べたんだよ」
「それは、内緒。内緒だから、大丈夫大丈夫。ちょっと休むね」
 何度も大丈夫、と呟きながらかぐやは立ち上がろうとするが、膝がかたかたと震え、自分で立つ事さえ出来ないのだ。竹丸はすかさずかぐやを抱え上げてやる。
「わっ、竹丸、良いよ、一人で……」
「馬鹿。こんな体で無理するな。……良い、理由は聞かない。今は休め」
 自室に連れて行きベッドに寝かせてやるが、かぐやは変わらず苦しげに呼吸する。苦しげに息を弾ませる度に形の良い胸が上下する。
 尋常ではない状態だ。もしもかぐやがサーヴァントでなければ、すぐに病院に連れて行っているところだ。
「……ごめんね竹丸、休んだらすぐに夕飯の準備するね」
「ずっと休んでくれ。頼むから」
 竹丸は無理に起き上がろうとするかぐやをベッドへと押さえつけ、溜息まじりにかぶりを振ってしまう。あの夜に体を重ねてからと言うもの、かぐやは今までより無理をしている。家事に励むにしても、竹丸と一緒ではなく自分一人だけでこなそうとするのだ。
「お願いだから。俺の為だって言うんなら、休んでくれ。その方が俺は嬉しい」
「分かった。……竹丸帰るの遅かったけど何処行ってたの?」
 頭まで被らせたシーツから顔を半分だけ覗かせて、かぐやが不安そうに尋ねてくる。そういえば少し遅くなると言うのを伝えていなかったな、と竹丸は頬を掻く。
「ああ、ごめん。クラスメイトの子が学校を休んでさ。家にも帰っていないって言うから、心配になって探してたんだ」
「どんな子なの?」
「こんな感じで髪短い、三義って子。いつも元気で、家にも帰らないなんてする性格じゃないから……」
「そう、なんだ」
 僅かに、かぐやが言い淀む。まるで何か知っている風な様子に、竹丸は首を傾げてしまう。
「どうかしたのか。もしかして、見たのか?」
「う、ううん、見てない。でももしかしたら散歩する時に見つかったりする、かも」
 ごめんね、と目を逸らすかぐやに竹丸は胸がちくりと痛んだ。ほんの一瞬だけかぐやを疑ってしまった自分が恥ずかしくなってしまった。
「そっか。じゃあ、しっかり休んで。あとで何か作るよ」
「うん、ありがとう……」

                 ※
 竹丸が部屋を出て行くと同時に、かぐやの腹部に鋭い痛みが走る。シーツの中で体を胎児の様に折り曲げて、かぐやはまた苦悶に呻いた。
「が、ぅっ……そう、なんだ、あははは……」
 笑みが止まらない。今さっき竹丸から聞かされた話が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
 痛む腹をさする。まだ腹の中で彼はもがいている。やはりこの体では消化できないらしい。
「……ふふふ、あははは。そっか、そっか」
 最後の時まで、あの少女はかぐやのよく知る少年の名前を呟いていた。
 愛おしそうにかぐやは腹を撫で、ぼそりと呟いた。

「貴女、そういう名前だったんだ」

 昨夜。真夜中に家を抜け出し、アーチャーのサーヴァントと遭遇した。少年か少女か分からない風貌をしていたけれど、強かった。何本も矢を放ち、かぐやの手足を見事に射貫いて見せた。
(きっとアーチャーは私に気付いていた。だからあの子に逃げろって言ったんだ)
 今も覚えている。暗闇の中で必死に主へ逃走を促すアーチャーの声を。
『主殿! 逃げてください! アレは普通じゃない!』
『与一君!』
 けれど、ああ、嘆かわしいがアーチャーの矢はかぐやへ届きはしなかった。七本の触手で、サーヴァントであろうと飲み込む能力で、弓兵は飲み込まれた。
『魔性のモノ、いや違う、貴様は、ソレは……!』
 そうして、次はマスターである少女だった。かぐやは竹丸の敵対者は誰一人生かすつもりはなかった。何の迷いもなく、逃げ惑う少女へと触手を走らせた。
『い、やだぁ! 痛い、痛い痛い痛いぃ……! 助けて、竹丸君、竹丸君、たけ、ま……!』
 自慢ではないが、触手で吸収される時はたまらない激痛が生じる。どんな生き物であれかぐやと同じ存在へと変換されるのだ。痛みと恐怖は尋常ではない。
 そんな中であの少女が、三義が竹丸の名を呼んだのは、それだけの意味があったのだろう。
「……私、竹丸の友達食べちゃった。ふふふ、ふふふ……」
 腹を撫でる。もう意識も消えてしまった事だろう。かわいそうに、聖杯戦争に参加さえしなければ死ぬ事は無かっただろうに。
「どうしよう……そうだ、赤ちゃんにしよう。私と竹丸の赤ちゃんにこの子を混ぜてあげれば良いのかしら。竹丸のは沢山もらったから……うん、そうしよう。ミヨシさん。心配しなくて良いよ、ちゃんと私が、貴女を竹丸と一緒にしてあげる。竹丸の一番は私だけど。竹丸はね、私の事ちゃんと見てくれたんだ。私が竹丸を一度壊しちゃったのに、竹丸は私の事好きだって言ってくれたんだよ。……私の事、怖くないって、気持ち悪くないって言ってくれたんだよ……私、竹丸の事また好きになっちゃったよ。竹丸の為に頑張らないと……あと二騎、あと二人……」


  • 最終更新:2018-12-28 23:43:27

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