決闘準備(デュエルスタンバイ)!

「どうも、とんでもないことになったようだ」
過不足ない表現だ、と、藤丸立香は思った。
 華麗なる太陽王(ロワ・ソレイユ)の気勢に緊張は光の速さで立香の精神回路をみたした。
 だからこそ、ルイの決闘の申し込みも咄嗟に言葉が出て来なかった。半拍、固まったあと咄嗟に左右に控える厩戸皇子と寺田宗有を見た。
厩戸皇子は内心を読めなかったが、寺田は不快そうに顔を顰めている。彼にとってルイの芝居がかった一挙手一投足が不快なのだろう。ルイの王者としての威風は権力と権威に高い価値をあたえるタイプの人間ならば、ルイを視界に入れた瞬間、肉体も精神も委縮させてしまうであろう。しかし、寺田がルイから感じたものは、虚喝(こけおどし)の厚化粧であった。それは寺田の体内に生理的な嫌悪感を生み出し、嫌悪感は殺意へと生化学反応を生じて変化したのだった。
 太陽王は剣豪の殺意を微風のように受け流し、話を進め出す。
「カルデアのマスターよ、猶予を与えよう。我(フランス)はこれから歌劇(オペラ)を鑑賞するのでそれまでに考えておくがよい。諸君らをもてなすため酒場に準備をさせてある。そこで話し合うとよい。その後に我(フランス)のもとに来て返答を聞かせよ」
 ルイは自分がいる場所を告げると立香たちに背を向けて歩き出した。厩戸皇子や寺田ならば一足飛びで斬りつけられる距離であるのに豪胆な態度であった。彼がこれら向かう先はリヨンにある歌劇場。これから鑑賞しようとしているのはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した『ドン・ジョヴァンニ』。
 太陽王が去ると身なりの良い格好をした壮年の男が立香たちの前に現れ、酒場に彼らを案内する。
 酒場についた立香たちは手頃な円卓を囲み、樽を椅子に腰を下ろした。
 女給はエールを配り出す。
「俺は果実をしぼった水があれば、そっちでお願いします」
 エール三つ、果実水一つ。立香の注文に女給はにこやかに応じて厨房へ向かっていく。
「あの、妙なことになっちゃったね……」
「まさか、決闘をふっかけた後に歌劇鑑賞のために去ってくるとは思わなかったよ」
 厩戸皇子は水晶を彫り込んだような美貌に無機質の微笑をたたえている。
「スカタクはどう思っているんだ?」
「ん? いいじゃないか。楽しそうだ。この美女を巡る決闘(デュエル)! 心が躍るなぁ藤丸ぅぅぅっ!」
 芸術神(ミューズ)の息を吹き込んだ黄金の絵具で描かれたような、美貌の女は実に愉しげに笑う。絢爛たる太陽王に見初められ、立香が決闘を申し込まれたこの状況が愉快で仕方がないのだ。
 二人の騎士がその身柄を巡って争われる姫君という役割(ロール)に興じるつもりなのだろう。
「二人の意見は?」
「儂はあの橙武者の決闘は受けたいと思うておる」
 寺田が言う橙武者とはルイ=デュードネのことであろう。
「あの増上慢は気に喰わん。気に喰わんが、歯応えのありそうな敵手ではある。さればよ、彼奴を斬りたいと思うのは人情であろう。気に喰わんが強力な武人、これを斬ってはならぬ理由など奈辺にもありはせんわ」
 寺田の笑いには、高貴な食人虎(ひとくいとら)といった危険な風格と迫力がある。
 立香は首筋から背筋にかけて、見えざる手が冷たくはいまわるのを感じた。立香は今まで口を開かない厩戸皇子を見る。
「太子様はどう思いますか? 例えばこの決闘を断ったらどうなるでしょう。……スカタクを奪いに襲ってくるでしょうか?」
「さあて、私もあの短い問答でかの王の人柄を看破したとは言い難いが……かの王にもメンツが懸かっている故に決闘を断られても後でこやつを奪おうと考えるかもしれんな」
「おお、儂奪われてしまうか! 大変だな!」
「奪うって、それじゃあ決闘の意味がないじゃないか」
「言ったであろう、メンツが懸かっていると。陰に潜み盗むのは盗賊。しかし堂々と奪うならばそれは貴族の掠奪だ。結果は同じであっても過程が異なればその結果に付帯する意味は異なる。……卿の時代にはそぐわぬ考えであるかもしれんが、あの太陽王やこのリヨンに生きる者にとっては奪取には正統性があることなのだ」
「じゃあ、俺らがスタコラサッサと逃げても、太陽王に追われながら王国軍とも戦わないといけなくなる可能性もあるってこと?」
「無論、あり得ることだろう。このリヨンとて、王国軍の監視がないとは思えん。我等はアサシンのごとく忍びながらここまで来たわけではない。既に王国軍の耳目は我等がリヨンにいることを捉えているだろう」
 厩戸皇子が形のよい指で前髪をかき上げる。
「革命軍の助力を求めるのも今は難しい。マーシャルどもによって活動の中心に使っていた拠点が潰され、司令官たるロベスピエールも潜伏して行方知れず。これでは軍を動かすのも難しい」
 寺田が気難しげに腕を組んだ。
「革命軍の軍事顧問をしているライダーならば強力な助けにはなるが、彼も個別で動き活動している上、足取りを掴めないように立ち回っているから連絡をして協同するにしても時間がかかるだろう」
 決闘を断れば革命軍やいずれにも属さぬ野良のサーヴァントの助力も受けられないまま、あの絢爛たる太陽王を敵に回しつつ、王国軍の名だたる英霊たちと連戦し、これを連破しなくてはならない。それは尋常ならぬ苦労をしいられることは疑いがなかった。ラ・シャリテで遭遇した怪異なる少女・玉兎やそれよりも強大なる英霊たちが王国軍には所属しており、それらと戦う想像しただけで、いいかげん疲労を感じてしまう立香である。
「できれば強い敵は、なるべく避けて通りたいな。強敵を遭遇してしまえば全体の効率が悪くなる」
 立香はそう考えた。彼の精神にはマゾヒズムやナルシシズムの元素が水準以下しか存在していなかったから、“強い敵と戦ってこそ意義と成長がある”などという、戦争とスポーツを混同するような観念に毒されてはいなかった。要するに立香は勝たねばならず、そしてどうせなら効率的―――はっきり言えば、なるべく楽に―――勝ちたかったのである。強大極まる英霊たちと戦うことになれば、たとえ最終的に勝つにせよ、いちじるしくエネルギーと時間を消耗することは明白であった。
「決闘、受けましょう。セイバーも付き合ってくれるよね?」
「ああ、卿がやると言うなら否応もあるまい。出来る範囲で協力しよう」
厩戸皇子がそう言って微笑むと、優美なほど洗練された動作で立ち上がった。
カルデアの意思決定はなされた。これよりルイの待つ歌劇場へ向かう。

◇◆◇

「悪かったな、歌劇を途中で抜け出すのは我(フランス)の流儀(スタイル)に反しているのでな」
 言葉とは裏腹にまったく悪びれていないルイ。答えを出した立香たちはルイのいる歌劇場に向かえば、彼の従者に通せんぼを喰らったのだった。
 寺田は斬り込むかと提案したがそれは立香と厩戸皇子が止めて、歌劇が終わるまで別室で待機させられていた。リヨンに来てからは相手のペースに乗せられてばかりだな、と立香は思う。隣で従者から容易された洋書を読んで寛いている厩戸皇子が羨ましい。いつも悠揚迫らざる物腰を維持できるのは、見ていて頼もしい格好良く見える。こういう在り方に憧れるところがあった。
 寺田は葡萄酒(ヴィーノ)を呷りだして、立香はスカタクと雑談をして時間を潰して過ごした。
 そして歌劇が終わり、ルイが立香たちのいる部屋へ入って来て、先のような謝罪の言葉を述べたのである。
「それで、カルデアのマスターよ。答えは出たのだな」
「ええ、まあなんとか」
機智に富んだ返答を考えつかなかったので、立香は平凡にそう答えた。
「決闘をお受けします」
 立香の答えを訊くとルイの表情は明るくなった。王としてよりも決闘に燃える血気盛んな戦士の笑顔だった。
「そうか。さっそく準備をさせよう」
 ルイが従者たちに指示を出し始めたとき、遠くから獣の雄叫びが聞こえてきた。
「なんだ……?」
 立香が胡乱そうに呟くと、スカタクが彼の袖を摘まんで引っ張る。
「サーヴァントがこっちに近づいているようだ。それに、月棲獣の気配が近づいてくる。それも幾つもだ! なあおい、藤丸。ちょっと行って軽く皆殺しにしてきていいか?」
 スカタクの紅玉のごとき瞳に超新星(スーパー・ノバ)の閃光をはしらせた。今すぐにでも飛び出して行きたいといった風情だ。
 立香としては許諾したいのだが、彼女をリヨンから出ることをルイが許すかわからなかったがルイは鷹揚に頷いた。
「我はお嬢さん(マドモアゼル)を捕える檻は持ってはおらんよ。行ってきなさい」
「えっと、まあ、無理しないでくださいね」
「ああ、任せろ!」

  • 最終更新:2019-05-09 22:18:27

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