安徳天皇SS 或る夜の戯れ

 夜の街を、老人と童女が行く。
「この街の景色にはお慣れになりましたか、陛下」
「うん、慣れた――と、言いたい所であるけれど。やっぱり当世は面白いね。わたしが生きた世とは、何もかもがかけ離れてる」
「御身の崩御から八、九百年は優に経ちました故。かくも変わるのは致し方ありませぬ」
 軽快に歩き、時にくるくると回り進む童女。その装いは老人のそれとは遥かに時代のかけ離れたもので、傍目からすれば違和感を抱いて当然かもしれない。
 最も、仮に老人以外の目撃者がいたところで何の問題もないだろう。それほどまでに、童女の放つ雰囲気とでもいうものは『神秘』めいていた。
「知ってるよ。聖杯、だっけ? その知識とやらに色々教えてもらったからね」
「これはしたり。お許し下さい、臣下の分際で差し出がましい口を利きました」
「いいよ別に。この程度、逆鱗にも触れないし」
 それでも老人は平然と会話する。
 視線を向ける事さえ躊躇い、余人であれば自ら顔を背ける程の貴気。人ならざる存在の威風も合わさり、最早存在(い)るだけで呼吸すら危ぶむ程の相手と、まるで対等であるかの如く。
 老人がそれだけ尋常ならざる者という事情もあるだろう。
 だが、老人はよく理解していた。己が置かれている境遇が、すぐ傍にいる童女の気まぐれな厚情である事を。
 己が、いつ餌食となっても差し支えない立場であるという事を。
「その代わり――そうさな。菓子を一つ、何でもいいから買うて参れ。選別は委ねる、そちの判断力でも見せてもらうとしよう」
「は、心得ました。では、しばしお待ちを」
 打って変わって、けれどどこかわざとらしく、高貴らしく童女は振舞う。
 老人は常の笑顔のまま恭しく答え、近くの店舗へ急ぎ足で向かった。

 ――さてさて。とはいえ、どこで買い求めたものやら。

 現時刻は午後22時。主だった菓子屋は悉く閉まり、大型店舗も店仕舞いの頃合である。真っ当に開いているとすればせいぜいコンビニくらいであろうが、それであの童女が満足するものかどうか。
 ともあれあの童女は確かにこう言った、「選別は委ねる」と。ならばせいぜい上等なコンビニ菓子(スイーツ)でも見繕ってみるとしよう。
 そう考えつつ、老人は少しだけ笑みを深くした。

  • 最終更新:2019-06-12 19:44:30

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