吸血鬼と人狼 エピローグ

「ふぁぁ…………はぁ~……」
下水道での人狼騒ぎから二日。
私はまだ気持ちを切り替えられないままでいた。
あくびと一緒にため息をつきながら特に目的もなくロンドン市街をブラついている。
あの後諸々の後始末をジルに───というか聖堂教会に任せることになって、その後どうなったかは知らない。
諦められなくて色々調べようとはしたけど、ジルに「譲歩できるのはここまでです。もう帰りなさい」と怖い声で言われたので引き下がるしかなかった。
まぁ下水道から出るまでは一緒だったんだけど。下水道を出て、そこで別れて、ジルとはそれっきりだ。
私はそのまま時計塔に戻って先生たちに報告して、それで終わり。すごく怒られました。
あと、途中で血だらけ満身創痍な姿をヨモちゃんに見られて気の毒なくらい心配かけちゃった。……いやうん、悪いことしちゃったな……すごく涙目だったなヨモちゃん……。
昨日は昨日でいきなり熱が出て倒れちゃうし。お見舞いと称して来襲してきたメレクに質問攻めされちゃうし……そりゃ看病自体はしてくれたけどさー。
そんなこんなで。
一日経ってようやく動けるようになった私はこうして気分転換に散歩しているのだった。
時刻は午後三時。おやつの時間。と言ってもなにかを食べたり飲んだりする気分にはなれないのでまた無意味に歩き続ける。
と、そこに。
「あ、ようやく見つけました」
そんな声が聞こえた。
「んぇ?」
声がした方向に顔を向ける。
そこには二日前となんら変わらぬ、修道服に身を包んだジル・セレナードその人がいた。


・・・・・・


「お待たせしました。カプチーノとカフェ・モカです。ごゆっくりどうぞ」
私の前にカプチーノ。
ジルの前にカフェ・モカが置かれる。
街中でバッタリ遭遇した私とジルは適当に入ったカフェでお茶していた。カフェの名前は……なんだっけ。アントラ……ナントカ……まぁそんな感じの。
「あのー……ジルさん?」
「なんでしょう」
私の対面に座ったジルがカップに手をつけず見つめたまま返事をする。落ち着いてはいるけどこういう場所に慣れてない気がした。
「いや、急にどうしたのかなーって」
「成り行きとは言え貴女は私の仕事に協力したガイドでしたから。事後報告くらいは、と」
「律儀……え、もしかしてずっと探してた!?」
「仕事の合間にですので大した手間ではないですよ。しばらくはロンドン近辺を担当することになりましたので」
「そうなんだ……そうなの? まだロンドンにいるの!?」
「いますよ。下水道の件の後始末もありますしね」
「あ……」
下水道の兼。それを持ち出されるとひとりでに気分が沈みがちになる。はぁ、いい加減切り替えないといけないのに。
そんな私の様子に、ジルもじぃっとした目を向けてくる。
「まぁ、あんな顔をしておいて一日や二日で立ち直れるとは思っていません」
「なはは……面目ない……」
「謝る必要はないですよ……というか、私としては別件で謝ってほしいところです」
「別件? 私なにかしたっけ?」
「したでしょう。下水道を丸焦げに」
「……アレ、ダメだった?」
「当然です。私の刃物や人狼の牙ではあんなことになるわけありませんから。誤魔化すのが大変だったんですよあの後……」
「……そんなに?」
「あの後来た協力者が話を聞かない堅物だったので。本っ当に大変でした……」
話聞かないってことならジルも相当な気がするけどなぁ……私に襲い掛かって来た時とか特に……。
にしても私が熱出してる間にそんなことになってたのか。あれ、私も報告したから時計塔から誰か行ったはずなんだけど鉢合わせたりしてないのかな。
……いや、なんか怖いから聞かないでおこう。
別のこと聞いとこう。
「その……誤魔化したりして大丈夫なの? 聖堂教会的に」
「大丈夫ではないですよ。私は見習いなので組織の中でも低い立場ですし」
「…………。待って。ジルって見習いだったの?」
「? えぇそうですよ」
えぇー……あれだけ強いジルでも見習い扱いなんだ……聖堂教会こわいなぁ。そりゃ規模で言えば時計塔超えるとは聞くけど、そこまでだなんて初めて実感した。
あ、もしかして。
「見習いの中でもジルは特別強かったり、とか?」
「いえ特にそういうことはありません。私より強い人なんていくらでもいますよ」
……うわぁ。聖堂教会こわいなぁ。
吸血鬼の身で聞くとなおさらこわい。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
「え、さっきので終わりじゃないの。お互い」
「肝心なことを話してないでしょう───あの魔術師についてです」
ぎくりとした。
「魔術師について……ってなにかわかったことあるの?」
「ありましたよ。死体の状態と現場の状況に教会の記録、その他諸々合わせて判明したことがいくつかあります。……聞きますか?」
聞きたいとも聞きたくないとも思う。
あれからまだ二日。心は痛いまんまだし、この話を聞けばもっと痛くなるかもしれない。
そんな痛みなんてさっさと忘れてしまえばいい。切り替えて、忘れて、前を向けばいい。
なのに思い出すのは白い人狼の最期の顔。
それを、私が見つけられなかったものを、このまま忘れていくのはダメだと思った。
意を決してジルの目を見る。
それを見返すジルが頷いて、喋り出した。
「彼の本名はテオドリック・ドールトン。元時計塔所属。百年以上前に時計塔から離れた魔術師」
「百年……」
長い時間だ。あの下水道で長い時間を過ごした魔術師がいるなんて思いもしなかった。
「人間を使った合成獣の作成に長けていたようです。人狼の正体はそれでしょう」
「……私の予想、当たった?」
「人間と狼を掛け合わせたキメラ、あるいはホムンクルスとでも呼ぶべき存在なのでしょうね。貴女の予想はおおよそ当たりということです。
 ……肉体の損耗から考えて年齢は少なくとも百に迫る年月を重ねているとのことでした。魔術回路も長い時間の酷使によるものか使い物にならないようです」
「……うん」
「それと魔術刻印ですが、こちらは摘出された"痕"だけが見つかりました」
「……うん。……ん?」
摘出された…………"痕"? 魔術刻印そのものは? 無いって言うなら、それは……。
「奪われた……とか?」
「そんな剣呑な話じゃないですよ。」
「それって……それって」
「はい。魔術刻印は正式に次代に受け継がれたと考えていいでしょう。……あの魔術はまだ、消えていない」
消えて、ない。
残ってるんだ、今も。
「忌々しいことですが……魔術師とはそういうものでしたね」
忌々しい、なんて言いながらジルの顔は、声は、優しかった。
「神秘は消えゆくもの。消えゆくものだからこそ、魔術師たちは血と共にその神秘を受け継いできた。魔術を受け継げ、神秘を引き継げ、我らが目指すは根源への道のりなり───でしたか。まったく忌々しい」
厄介な連中です、とジルは嘆息する。
そんな様子も私の頭には半分以上も入ってなかった。
頭の中にあるのはあの魔術が残っているという事実と、一瞬だけ目が合ったあの白い人狼のこと。
まだ残っている。この世界のどこかであの神秘は息づいている。
嬉しい、とか。
良かった、とか。
そんなことばっかり頭の中をぐるぐる回って、居ても立っても居られなくなる。嬉しくて嬉しくて、走り出してしまいそう。
ああもういいや、走ってしまえ。
知らないものを知りに行こう。
隠れたお宝を見つけに行こう。
止まってる時間がもったいない。
「ごめんジル! 私もう行くね!」
残ったカフェラテを一気に飲み込んで、立ち上がる。
ここはジルにおごってもらうことになっちゃうけど───うん、いいや! 次に会ったとき返そう。
いっそ失礼なくらいいきなりな私の言動にジルは気を悪くした様子もない。
どころか、少し喜んでそうなくらいで。
「どちらへ?」
その問いに、私はとびっきりの笑顔で返してやるのだ。

「行くんだ───冒険に!」

言ってから歩き出す。走り出す。
扉を開けて。前を向いて。もう足は止まらない。
私の、長い長い冒険旅行記が、始まろうとしていた。


───END───

  • 最終更新:2021-09-28 21:57:51

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