二人と交叉路~ゲザウゼ

◇エドワード黒太子────2階渡り廊下

 攻めあぐねている、と言わざるを得ない戦況だ。多くの戦場を踏んできたエドワード黒太子の経験は今も得々とその事実を語っている。
 光の届かぬ渡り廊下で、エドワード黒太子は姿の見えぬ何者かと刃を交わらせている。見立てによれば、相手はサーヴァント、それも、三騎士のうちのアーチャーを除いたどれかだ。身のこなしがあまりにも戦い慣れている。廊下はサーヴァント二騎が暴れるには狭く、そして暗い。だというのに相手はそれに何の枷も覚えることなくエドワード黒太子を倒そうとして沈着冷静に得物を動かしている。辺りを包む闇などないかのようだ。
 また、同じく戦闘慣れした身であるエドワード黒太子が押され気味なのにはもう一つ訳があった。状況が己にとっては分が悪く、相手にとっては逆に有利なものであるのだ。先も言った通り、戦場は狭い。自分の現在位置の把握も容易ではない。屋外に出れば────窓を破るなり、床を壊すなりして広げることもできるが、ここが他に一般人や他マスターもいる施設である以上、むやみやたらにそういった行動には移れない。ここでそうすることで相手を倒せたとしても、人的被害を生んでしまうと他陣営から厳しい目で見られてしまう。他の戦力を知っていない以上、敵対する契機となってしまう行為は慎むべきだ。結果として、エドワード黒太子は十全な火力を出せずにいる。そして、宝具を用い、騎士たちを使っての得意の人海戦術も狭さが原因で使えない。今ここで騎士を呼んでも、視覚の差がない以上形勢を覆せるとは思えない。
 翻って、相手の方は。エドワード黒太子にとってのデメリットが大きなメリットとなっている。相手は恐らく、二人の現在位置が把握できている。どこに壁があって、どこに窓があって、どこに柱があるかも理解しているのだろう。その上で、施設本体にダメージをかけず、エドワード黒太子だけを狙っての攻撃ができている。暗視系の魔術でも用いているのだろうか。或いはスキルかもしれない。そして、エドワード黒太子が集団を扱っての人海戦術を得意とする、謂わば「軍」での強みに重きを置く存在な一方で、相手は「個」としての強さが大きい。一人で戦うことを知っている。指揮官でも兵士でもない、一人の戦士としての鋭利な戦闘能力を加減なくエドワード黒太子にぶつけてきている。
 大鎌が振り上げられたことが鎌の刃の光で知れ、空気を切る音がするより早く盾を構えた。腕が痺れたのはそのすぐ後だ。盾の状態は確認できないが、もう相当に傷ついているだろう。このままではいつ折れ、割れるか分からない。すぐさま新しいものを取り寄せ、古い方の盾は相手に向けて投げた。ズシンという音が聞こえたが、その中に何かに当たったようなものはなかった。悠々と避けたのだろう。
 四方に意識を尖らせながら新しい盾を携え、同時にマスター、伊佐那の無事を確認する。こういう時に騎士たちとの感覚の共有は便利だ。伊佐那の傍に侍らせた騎士の視覚を借りて見ると、伊佐那は客室の扉の前で息を潜めて用心深く佇んでいる。身体に怪我などは見受けられない。客室の番号からするに、2階の西館の、自室付近に居るらしい。
 マスターの存在を止めつつ、微かな足音から相手の位置を類推し矢を計三本射かける。一本目は直線、二本目は弧を描かせ、三本目は一本目の陰に潜ませる。さて反応はというと、相手は苦もなさげに三本全てを鎌の柄で振り落とした。それも、蚊が落ちるようなほどの静けさの内に。
 やはり相手は、暗中での戦闘に長けている。ここは、東でも西でも、とにかく渡り廊下から抜け出す必要がある。敗走、と呼べてしまいそうな振る舞いをするのは口惜しいが、今は戦闘を放棄し、霊体化をして伊佐那の居る西館に向かうべきだ。
 そう考え、また視界の端で大鎌が光ったのが見えた。盾を構える。が、構えてから気づいたが、相手の位置と自分の位置とには距離があり、大鎌の間合い内とは言えない。
 何か来る、ということは経験則から察することができ、盾とは別に剣を抜き、盾を持つ手を離し、両手とも剣を持つ。そして、盾よりも前に剣を突き出した。
 次の瞬間、自身の経験則に誤りはなかったと知れた。大鎌の光はこちらに向かってくる間に細くなり、そして伸びた。刃渡りはずっと長くなり、二本の形の異なる光が十字にエドワード黒太子の眼前でぶつかり合った。キリチリと耳障りな音が耳朶を擦る。
 予測は当たっても、現状の好転には繋がらない。細い、長剣状の光はすぐに大鎌のものへと変じ、剣で相殺するには大きな質量へと戻ったせいでエドワード黒太子は後退るようにして受け流した。それでも剣は衝撃を逃がしきれず、鈍い音を立てて折れてしまった。剣を放り、新しいものを隙なく手元へ召喚する。
 相手にとっては失敗に及んだ切り札の登場だが、これによりエドワード黒太子はまた苦しくなった。大鎌から長剣へ変化する得物。もしかそれ以外の武器にも変わるかもしれない。その場合、この狭い廊下から相手の隙を見て脱出するというのは厳しさを増す。
 右手に剣を、左手に盾を握り、警戒態勢で前方を睨む。どんな音も聞き逃すまいと耳を欹てる。それでいて、いつでも足を動かせるように踵に力を溜める。睨み、睨み、睨み、欹て、欹て、欹て、溜めて、溜めて、溜めて────違和感を感じた。
 前方からは、何も聞こえない。どころか、今まであった、全身を舐めまわすようだった冷たい殺気も失せている。暗闇は、戦場ではなく唯の暗闇となっていた。

 ────逃げた?何故?
 
 疑問が過り、それが瞬時に解へと至った。今度は剣から右手を放し、両手を使って盾を勢いよく下にし、その弾みで前転するようにして態勢を後ろに返す。ただ振り向くだけにしなかったのは、頭のあった位置に飛んできた魔力の込められた弾丸が理由となる。
 先のサーヴァントとは違うサーヴァントがいる。先のは、恐らく暗視が可能であったためにこのサーヴァントの接近を知覚し、戦闘を放棄し退散したのだろう。音がなかったことから、霊体化によって逃走したことが察せられる。
 このままの連戦は、相手の力量にもよるが厳しいものがある。何より伊佐那が気がかりだ。エドワード黒太子の部下である騎士と言えど気配感知の類のスキルは有しておらず、アサシンの襲撃は対応できない。アーチャーとして単独行動は持っているが、それでもマスターを失ったサーヴァントは一気に弱体化してしまう。先のサーヴァントの情報も整理したい。
 そう考えながらエドワード黒太子は霊体化をする。それと時を同じくして、漸く月光を遮っていた群雲は去っていき、廊下には柔らかな薄光が満ちていった。廊下をそのまま立ち去る中で最後にエドワード黒太子が見たのは、白髪の少年と少女の姿だった。


◇グランデリニア・グレーヴェンマハ────2階渡り廊下

「あれれ。だれもいなくなっちゃった?」

 人影のない廊下を見て、デイヴィくんは不思議そうに首を傾げた。先ほどまで明かり一つなく霧のように広がっていた闇はなくなって、デイヴィくんとグランデを白い光が包んでいる。

「本当ね。せっかく誰かと遊べると思ったのに…逃げ水みたいね。羽虫みたい」
「ともだち、なってくれるとおもったのになー。きらわれちゃった?ボク」

 寂しそうにデイヴィくんが項垂れる。顔は窺えないが、きっと悲しい表情を浮かべているだろう。
 まったく、酷い人間もいたものだ。グランデはそんなデイヴィくんのいたたまれない様子を見て密かに怒りの感情を覚えた。ブドウと鶯の声と白パンとをとろ火で煮込むような怒り。どうしてデイヴィくんのような優しい少年を無下にできるような態度をとれるのだろう。

「もう。そんなドクダミたちのことは忘れちゃいましょう?あの人たちはきっと、かくれんぼで見つかったら鬼ごっこを始めるような、決闘の朝にワインを傾けて来るような卑劣な人よ。もっと優しい人がいるはずよ」
「うん、そうだね」

 デイヴィくんが、幾分か気力を取り戻したのか笑んでグランデを見た。それにグランデも笑い返した。ゆったりと注ぐ月影は夢のようで、笑い合う二人はピアノを弾く少女の二本の細腕のように穏やか。友愛という目に見えぬ身体は弾きも見ぬ乙女の暖かさを含み、影さえこの場では影ではない。ベッドに横たわる乙女の黒髪とはこのようなものだ。真っ直ぐに、それでいて自在に二人をくるんでいる。
 出会ってからこれまで、デイヴィくんとグランデは真正の友達なのだ。友達という乳白色の関係は心地よい。だからグランデはデイヴィくんの「ともだちがほしい」願いを叶える。だからデイヴィくんはグランデの「世界を受け入れてほしい」望みを叶える。そのために聖杯が必要なのだ。

「でも、でも、ころせなかったのはまずかったかな」
「うーん…ここは、接ぎ木が増えたって考えましょう。叔父様みたいな人ばかりは悲しいけれど、私たちが聖杯を使っちゃえば、そんな人、どこにもいなくなっちゃうんだから。アンジェリユースがぜんぶ、連れて行ってくれるわ」
「うん、うん。グランデのせかいは、やさしいせかいだもんね」
「そうよ、その世界が受け入れられない人は優しくない人。熊蜂さん」
「でも、グランデはその人たちも、見すてずにいるね」
「勿論よ。きっとみんな、黄金を隠しているだけで、作っているのだから。だから、それに気づかせてあげるの。コーヒーにだって、お薬にだって、大先生の楽譜の裏にだって、お砂糖はあるんだから」
「にがいのは、すてちゃって」
「お砂糖を残せば、世界にだって、デイヴィくんにだってみんな笑いかけくれるわ」
「そうなったら、そうしたら!」
「えぇ、えぇ、そうよ。その時は…!」

 話すうちに、デイヴィくんの顔には元の喜色が戻って来る。友達の笑顔は八月の昼光のように眩い。デイヴィくんにとってのグランデの笑顔もそうなのだろうかと考えて、微笑んでみせた。彼の首にかかったグランデも笑っていた。

「「ともだちに、しちゃおう!」しちゃいましょう!」

 メリーゴーランドは車窓のように二人を覆う。くるくる回っているのはグランデたちの方で、二人して見ているのはお互いの顔。夜の遊園地は趣深い。友達と一緒だとなおさらだ。手を取り合って、踊って、笑って、また笑う。これから会うだろう友達に笑いかける。冒険の始まりは、終わり(ハッピーエンド)のために笑うのだ。

  • 最終更新:2021-07-11 13:30:59

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