バケットリスト・イン・アントラクト

「やってみたいことって、あるのですか?」
「んー……やってみたいこと、なぁ………」

ここはカフェ・アントラクト。時間軸とか接点とかそういう細かいことを気にしてはいけない、不思議なカフェである。
そんないつもの席で、妹弟子がシュークリームをぱくつきながら何気なく訪ねた言葉に、高円寺零央は思いの外頭を悩ませた。
「……そやなぁ………一回でええから師匠を驚かせてみたい、とか………あまねちゃんはどうや?」
「私は……他人のお金で焼肉!食べ放題じゃないやつを、お腹いっぱい!」
話を振られたバイト帰りの少女が、目の前に置かれた参考書をパンパンと叩きながら力強く拳を握った。
「それと、チェーン店で一番高いメニュー頼んだりドリンクなんかつけちゃったり……あとは一日中何もしないでダラダラ暮らしてみたい……なぁ♪」
「年下の少女に世知辛い現実を見せつけつつある」と自覚し後半部分は努めてかわいらしい口調にしていた少女だったが、正直なところ手遅れであった。
話を聞いていた銀髪の少年が、紅茶(ドリンクメニューでは、無料である水の次にコスパがいい)しか置かれていない少女の席の前に静かに砂糖菓子の乗った皿を置いた。
「……レディ。勉強は頭を使うから、ぜひ食べるといい」
「いえ、そうやって分けてもらう癖ついちゃうと後々辛いんで気持ちだけ……あ、そうだ。ベロノソフさん……でしたっけ。あなたはどうですか?やってみたいこと」
皿を軽く押し返されると同時に話を振られ、銀色の少年が少し困ったような顔をして「僕は……あまり思いつかないな」と呟く。
「……ないのです?やってみたいこと」
「言われてみれば、いつも『やるべき事』の方を考えて生きているから………強いていうなら、たまには浜辺でバカンスなんていうのも悪くないって所か。こう……地中海沿いあたりに宿を取ってだな…」

「いいと思うよ、地中海。素敵な所だ。………ところで、何の話題?」
「あ、メイくん。ここ空いとるから座り」
いつの間にかテーブルの横から覗き込んでいたパンクなファッションの少年が促されるままに席につき、注文のタブレットを覗きつつこれまでの話題についての説明を受けた。

「へぇ。やってみたい事、かぁ……僕だったら、兄弟喧嘩……とかかなぁ」
「へぇ、兄弟がいるんだ。私、ずっとお母さんと二人暮らしだから兄弟のいる生活ってちょっとだけ憧れるなぁ」
「うん。えーと……五人。五人いるね」
「へー、多いなぁ。そんなにおって、喧嘩したことないん?仲、ええんやね」
「仲がいい、っていうのはちょっと違うかもなぁ。……そういうことが許される立場でもなかったし、しようと思ったこともなかったよ。強いて言うなら……耕されそうになったことはあったけれど」
「……たがやすって、畑に使う言葉ではないのです?」
あはは、まぁ言葉通りだよ––––と、メッシュの入った髪を軽く弄びながら、少年がストローを噛んだ。

「………僕はさ、まぁ…兄弟の中では聞き分けのいい方だと思うし……質問も我儘も…それどころか、必要でない会話は何もしないような……つまんないし、話しづらい奴だからさ。分け身のように思えど寄り添ったりはしなかったし……多分、君たちに今家族の話をしようとしても、通り一遍の当たり前なことしか言えないと思う」
どこか冷めたような目で、子供とは思えない雰囲気の美少年が窓の外を見つめた。
「……だから、ね。今の僕が何かを望むなら……一つだけ残ったお菓子を誰が食べるかとか、そういうたわいも無い喧嘩をしてみたいかな。必要でもない、周りが聞いたら「そんな事で?」って言うような。
……そういう事が、僕には足りないんだ。…と、思う」

「(今更だけど、禮丁川メイって偽名だよね?どう見ても西洋人じゃん、あの子)」
「(師匠に聞いたら簡単に身元を明かせない家柄の子ぉや言うてはったわ。言わんといたって)」
ヒソヒソと囁き合う零央とあまねをよそに、メイと名乗る少年が勢いよくジュースを飲み干す。ずず、と音を立てて氷以外のコップの内容物が消える頃には、彼の顔は再び明るい少年のものに戻っていた。
「あー、美味しかった。もう一杯頼んじゃおうっと」
少年がニコニコとソフトドリンクの項目を調べはじめても、普段とは違う雰囲気の独白により齎された奇妙な気まずさは依然健在である。
銀髪の少年–––性格含め王子様と呼ばれるのも納得の気遣いである–––が、あえて沈黙を破るように「えーと……メイくん?複雑な事情がある家庭のようだが……兄弟さんと、ちゃんと話せる時が来るといいな」と声をかけると、はちみつキュケオーンジュースなる謎のメニューを押して満足げな顔の少年が「うん。ありがとう」と答えた。

「家族を嫌いな人はいないってご本で読んだので、大丈夫なのですよ」
「……あはは、そうだといいけどね…………ん?」

首元のチョーカーについた水仙型の飾りを直していた少年の目が、ふと遠くの一方を向く。そのまま固まってしまった彼の視線を追うように一同が顔を動かしても、如何せん時空が歪んだカフェであるので客が多すぎてどれが原因なのかはよくわからない。
「……あー、あのね……」少年がそのパンクなファッションに見合わぬ気弱な声で肩を震わせた。「きょ、兄弟の気配を……感じたような……気が……するんだよ……」
「ちょうどええやん。話してきたら?無理やったら俺らがいくらでも反省会するさかい」
「………今は………今はまだ、無理……!準備が…心と色々の準備が……!」
「メイくん………メイくん!?」
震えながら何かを被るような動作をしたパンク少年が、瞬きより短い間にその場から消え去る。後には困惑した様子の少年少女が残された。

「………レオにーさま、今のってマジュツなのです?」
「…さぁ」

悩めどわかるはずがない。だって権能なのだから。
一同はしばらく所在無さげに周囲に視線を彷徨わせていたが、やがて「まぁ、そういうこともあるんだな」と深く考えない事に決めて雑談に戻るのであった。


  • 最終更新:2020-05-23 00:04:36

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