クロード・モネ

【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【マスター】藤丸立香
【真名】クロード・モネ
【性別】男
【身長・体重】185cm・109kg
【属性】秩序・中庸・人
【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力A 幸運E 宝具B

【クラス別スキル】
陣地作成EX
道具作成C
【固有スキル】
戸外制作B
このスキルによりキャスターは陣地外で行われたスキルやステータスにプラス判定が振られる。Bランクになれば陣地よりも外で戦う方が強い、キャスターらしからぬステータスになる。とはいえ室内での制作が劣ることはないあたりはやはりキャスターらしさが伺える。
色彩の連作A
連作とは一人の作者が特定の題材に基づいて複数の作品を作り、全体としてもある程度まとまった作品とする手法。モネは連作においてもはや他の追随を許さず、名人芸の域に達しているといえる。
彼の世界(げんじつ)は無数の色彩(ひかり)に呑まれていく。モネは、手紙の中で、水と反射光だけが絶えず頭の中を去来すると書いている。
印象派EX
観察眼、直感、心眼などを含む複合スキル。キャスターはその創始者、体現者としてEXランクで保持している。その結果、概念防御や魔力の流れまで目視可能になった。
印象派は始めは写実主義が主流だった当時は嘲笑・酷評されていたが、最後には革命を引き起こし写実主義の破産を示した。
後述の宝具と組み合わせる事で視える物の形、線を消す事が可能。なので相性がいい。
モネ・リヴァイヴァルB+
消滅後発動し自分から発信する可能性の光。
実際に自分が手掛けた偉業も、実際には関わりのない伝説も作らせてしまう。そうして作られた偶像を英霊モネはすべてを一身に受け止めて、次に現界した彼はそれらの「期待」と「可能性」の具現になってしまう。
英霊となったモネの作品や固有結界は残り続け、人々に芸術のなんたるか、を周知させ人々の心に世界の美しさを訴える。

【宝具】
『微睡みの終家(ガーデン・オブ・ジヴェルニー)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:10〜50 最大捕捉:????
陣地として作り上げることが可能。
春夏秋冬朝昼夕全てを魅せる彼の心象風景。ただし、固有結界に似て非なるもの。
この心象風景は彼が「画材」を使う事で大きく姿を変える。閉じ込められ溶け込んだ人間にはここが現実世界なのか絵画の世界なのか、あるいは彼の世界なのか判別不可能。
ここから脱出するにはモネが消すか、現実世界への出口になる絵を探すしかない。無論彼自身が入って閉じこもる事も可能だが、彼自身が倒されると脱出されるので要注意。
ちなみにこの庭には生前彼が書いたものが任意召喚されている。探せば妻のカミーユにも会える。最も、英霊と同じく模倣品に過ぎないが。

また眼を要石に一部断片展開、魔術や魔法を行使することで視界に写る事象を描き変えてしまう。その為にはワンアクションとして特殊な見方をする必要があり、成功すると捉えたものの形や色をモネが見たままに変えてしまう。(眼も魔眼に近いものになる)。
コストや発動時間も一瞬で済むので戦闘時はこちらがメインになる。

【Weapon】筆と絵の具、キャンバス。そして魔眼もどきの固有結界


【見た目】ベレー帽や麦藁帽子を被った白い口髭顎髭を蓄えた老人。脱ぐと禿げている。内臓肥満体型。
【好きなもの】自然、旅、仲のいい人、気に入った装飾画
【嫌いなもの】勉強、フランス、気に入らない装飾画

【解説】
オスカー=クロード・モネ。
「光の画家」「太陽の画家」「色彩の大家」「水のラファエロ」……などと呼ばれる印象派の代表的な画家。
「積みわら」や「睡蓮」などの絵画で有名。印象派の説明でよく言われる「印象」しかないという酷評をされたのもこの人。
青年期は先取りし過ぎサロン落選、晩年はピカソらをはじめとしたキュビズムなどが流行り、と生前評価されてたのか分かりづらい。
その反面、1950年から始まったモネ・リヴァイヴァルによりジャクソン・ポロックをはじめとした抽象表現主義に対して何故か引き合いに出されるようになった。ごり押しのぶっ飛んだ解釈により元々底堅い市場評価もあって、リーマンショックまで絵の相場は上がり続けていた。
70年近くにも及んだモネの画業はその時々によって大きな変化を見せており、その評価もまた時代の波に揉まれ変転してきた。
それでも、モネの見た世界は、依然として現代的な意義と色彩を保ち続けている。

【性格】
内気でシャイだが、義理深く家族や友を愛していた。いや、仲のいい人物にはかなり積極的。絆3〜5までがかなり短い。しかもマスターが日本人で芸術に興味があると知ると概して親切になる。
その一つとして家族をモデルとして描く事もあり、その中でも有名なモデルは前妻カミーユと後妻の義娘シュザンヌである。
マネ、ルノワール、ロダンと言った芸術仲間、画商とは仲が良い。後にこれがきっかけで出身のフランスよりもアメリカの方が知名度補正が強くなってしまった。
本人には言えないが、マネや歌川広重、葛飾北斎のファン。

世間の評価や世間の評価やお金のためでは無く、自分の本当に描きたい物を描くことに力を注ぎ続けた。
これを聞くと清廉に聞こえるが、浪費家な一面もあるので請求書を増やし生活難になる困った人。やっぱり芸術家だった。

「人物画を描き続けていたらもっと早くに評価を得、豊かな生活が送れていたかもしれないのに、なぜそこまで自分の心に従うことができたのか。
貧しさからの自殺未遂、仲間との軋轢、自身より早い母と妻と子供の死、パトロンの夜逃げ──この人生は苦悩に満ちていた。だからこそ束の間の晴れ間は何よりも美しかった。」と本人は語る。

  • 最終更新:2019-09-11 15:56:15

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