アクター・イン・アントラクト

ここはカフェ・アントラクト。二十四時間営業、時間軸考察の必要性皆無の快適極まりない不思議カフェである。
その隅の、窓際のボックス席に二人はいた。
整然と立ち並ぶニューヨークのビル街であり、あるいはパリの歴史ある大通りであり、そうかと思えばどこともわからぬ亜細亜の枯山水である窓の外を興味深げに眺めているのは、ふわふわとした印象の色素の薄い少年。その向かいでその全てが当然であると言わんばかりのすまし顔でティーカップの中身をかき混ぜている少女も、これまた真っ白と言っていいほどに色のない容姿をしている。白皙の二人が向かい合うそこは、周囲とはひときわ違う雰囲気を醸し出していた。
「…冷めるわよ」という少女の促す声に、少年がびくりと肩を揺らす。「…いいのですか?」と気まずそうにあげられた声に、少女は呆れたような溜息で返した。
「かまやしないわよ。どうせブリテンの民であるならば、偉大な王だろうが犯罪界のナポレオンだろうが同じこと。貴方になにか許可を求めるべきことがあるとすれば、そうね……その茶葉は香りが良いのが売りだから、ミルクで薄める前に少し香りでも楽しみなさい」
しばらく逡巡するように目を泳がせた後、少年がティーカップに口元を寄せる。
「……ほんとだ、いい匂いですね」
「でしょう?」

さて、そんな二人にコソコソと近づいていく影が一つ。
「ヒィィィィロォォォォォ、インタビュゥゥゥゥゥゥゥウ!!!」
突然後ろからぶつけられた叫び声に、二人は「わぁ!」「ぎゃあ!」と口々に悲鳴をあげる。白い少女が慌てて振り向くと、ボックス席の椅子越しにマイクを掲げた青年が一点の曇りもない素晴らしい笑顔で仁王立ちしているところが目に飛び込んできた。
「他人のティータイムにやかましく乱入するんじゃないわよ!アタシがハートの女王じゃなかったことに感謝することね……!」
てかヒーローって何よ、アタシに関係ある!?と喉奥で唸り声を上げる少女に向かい、男性は「いやぁー、異国の女神は寛容なんですねぇ〜!」とわざとらしい笑い声を上げる。
「いやぁ、今界隈でブリテンがアツい!ということでね、ここはイギリス人にインタビューを敢行しましょうというわけで。まぁうちの神もやったんでね、そちらもよろしくお願いしますよ」
突然の闖入者にひたすら困惑している少年を避けるように、男は少女の側の椅子のスペースにジリジリとにじり寄り自分が座る位置を確保していく。世界を股にかける偉大な女神を自認する少女に対してやるには彼の出身国的にもかなり勇気が要りそうな行為であったが、それに関しては無問題。彼が今入り込んでいる役は「ワイドショーのリポーター」であり、彼の考えるリポーターとは相手が多少権力者だったところで引かぬ媚びぬ省みぬものなのである。彼の何より敬愛する神であるディオニュソス神であれば多少は勢いを抑えられたかもしれないが、目の前にいるのはどちらかといえばアテナかポセイドンかの縁者。ご本人様でもない以上、遠慮をする道理などどこにもないのであった。
「……おまえ、もしあの子に『演技の参考にしたいからリチャード三世がどんな人だったか教えて』とか言うようだったら即刻叩き出すわよ」
少女が男の耳元にさりげなく口を寄せ、静かに囁く。極力口を動かさず届けたい相手にだけ声を届けるというのはかなりの高等技術であるのだが、そこはまぁ弁論に強い女神としての面目躍如というやつである。
「失敬な……」と、男が小声で唸る。自らの領分に関する話に踏み込まれたせいか、多少素に近い声音であった。「そういう『事実の確認』はブン屋の領分っつーか……そういうのは当事者の感情をそのまま持ってくるんじゃなくて、ホン読み込んで自分のモノにしてこそ役者なんすわ」
「あら。恐れ多くも女神のティータイムに割り込んでくる男に敬意について説かれたくありませんわ」
肌同様に白い眉をきゅっと中央に寄せた後、少女は「……仕方ないわね」と今一度ため息をついた。

「それで、アタシは何について話せばいいのかしら?生憎妖精についてなんかはあまり踏み込んで話せないのだけれど」
運ばれてきたパイを切り分けながら述べる少女の言葉を聞いて、少年が「え?」と首を傾げた。
「そうなのですか?女神様はきっとアーサー王なんかとも知り合いなのだと思ってた………ました……」
幾分か不慣れに見える敬語を意にも介さず、少女は「そうでもないわ」と言いながら指先で自らの髪を弄ぶ。
「サクソンでありケルティックでありスコティッシュでありウェリッシュでありアイリッシュ。ピクトでありゲールでありノルマンにしてノルド。……まぁ、挙げればキリはないのだけれど……相克の紅白が神代の冠位・幻想のアルビオンであるならば、アタシは人代の幻想・象徴のアルビオン。どこまでも認知の存在なのよね」
「ほうほう?」とマイクを近づけてくる男性を「やめなさい」と一喝しつつ、少女は静かに話を続けた。
「神話には体系ってものがあるでしょう?例えばオリュンポスにはゼウスという主がいて、タカマガハラにはアマテラスという主がいて、そしてそれに従属する神がいる……
 でもアタシは違う。アーサー王伝説の地に根付き、ギリシアの武具を掲げてはいるけど……いずれにも属さない。いわば、神話を持たない神。あくまでブリテンの象徴であるわけ」
さて、と少女が少年の方に向き直る。
「国家に象徴が必要である、というのはどういう状況かわかるかしら」
「え、あ、えーっと………」突然水を向けられた少年は慌ててカップから口を離し、しばらく下を向いた後に「……き、機能してる国がある………?」と細い声で返した。
「まぁ、そうね」と少女は首をゆるゆると縦に振る。「アタシが存在するためには、ブリテンという概念を維持できる規模の国家と、そこに特定の民族が存在するって意識が必要なのよ。すでに存在する神話の存在や幻想ではなく、祝福されし英雄がまとめ上げた団体でもなく、法と人が治める国家としてのね。ゆえに、神代が終わるより前……それこそアーサー王の時代なんかでは、アタシという存在は比較的希薄になる。象徴になれる幻想がすでにあるのなら、そっちが象徴をやればいいだけの話ですもの」
少女が気取った様子で首を動かすのに合わせるように、外の風景が薔薇園のものに移り変わった。
「そういうわけなので、妖精だのアルビオンだのヴォーティガーンだのと言われても、どれもこれもアタシとしては曽祖父母とその兄弟ぐらいの認識しかないというわけなのです。お分かりかしら?」
「あー、なるほどなるほど。じいちゃんばあちゃんならまだしも、そこまで遠い親戚について語れと言われても覚えてねーよと。神代も大変というわけですねぇ〜」
「……その神代を思い込みだけで再現する奴だけには言われたくないわよ」

「…そういうわけで、せっかく話題になっていることですけれどアタシは今回は専門外。どうしてもっていうならもっとそういうのに詳しそうな奴にナシつけてあげてもいいけど」
「いやぁ〜……」青年が、照れ臭そうに頭を掻く。「……実は今回聞きたいのはそっちじゃなくてですね……ハイ……」
歯切れの悪い青年をジロリと睨みつけ、少女が「……簡潔こそが英知の真髄よ」とだけ口を開いた。

「シェイクスピアについての話させてくださいッッッッ!!!」
「うわ声大きい!」
「加減なさい!」

「……あはは……いやぁあはは……『夏の夜の夢』の登場人物が出てくるだかなんだか聞いてもう居ても立ってもおられずインタビュアーに立候補したというか………そこまで確固としたイメージを持ってもらえるって演劇関係者としては冥利に尽きるっすよね……舞台がアテネってところもまた良い……アポ取ったりとかできません……?」
届けられたばかりのアイスティーを啜りつつ落ち着こうと仕切りに息を吐く青年を見つめ、少女は「………………………やめといた方がいいわ」と目を逸らす。
「そうですか……ではシェイクスピア本人は」
「英国人ネットワークを使えばできなくは…………コホン、考えておいてあげる」
元から能天気そうな顔に固定されている表情を一層輝かせて喜ぶ。それを見て、スイーツ盛り合わせのアイス部分を掘り崩していた少年も幸薄そうな顔ににっこりと笑顔を浮かべた。
「シェイクスピアなら知ってい…ます!ぼ……私の百年後ぐらいの有名な劇作家!有名なものにはいくつか目を通したし……ええっと、『ロミオとジュリエット』に、『マクベス』に、『ヴェニスの商人』……あとは………………確か……歴史劇も………書いていた、はず、なんだけど………あれ、あれ、なんだっけなんだっけなんだっけなんだっけ………」
「シェイクスピアなら『ジュリアス・シーザー』がお勧めよ!!!!」
「やっぱり定番は『ハムレット』ですかねぇ!!!!」
何かを思い出そうとするにつれ視線が定まらなくなっていく少年の思考を遮るように、二人が揃って大きな声をあげた。
「……あ、そうだね!『ジュリアス・シーザー』の演説シーン!すごくかっこよかった!演説が得意な人ってかっこいいよ……ですよね!」
「戻ってきた」少年を見た二人が肩を撫で下ろすと同時に、少女がごくごく自然な動きで青年にヘッドロックをかましながら耳元で「地雷」とだけ呟く。
「アッハイ」と震える声で返した青年は、直後に震えを一切感じられない声で「いやぁー、しかしウチ(ギリシャ)もなかなか負けたもんじゃないですからねぇ〜!よーし、お兄さん今日はエウリピデスのいい所とかじゃんじゃん語っちゃうぞー!」と声をあげた。
それなら喉も渇くだろう、と、少女は静かに飲み物の注文表に手を伸ばす。
かくして、いたいけな少年に西洋演劇の歴史を講義する会と化したインタビューは進んでいくのであった。







「……そういえば、フォーカスされたらインタビューが始まるっていうなら、キョートでニンジャが大暴れした時だってあって然るべきだったんじゃないの?」
「関係者二人が『身内の出番が足りないもっと増やせ全編通して九割は描写しろ』と暴れるだけになったそうで……」
「あぁ……」




  • 最終更新:2021-08-06 00:20:05

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